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ホーム>「30代で第一線!」>柿崎 順一
美術家/フラワーアーティスト
Junichi Kakizaki
現代美術の世界にライフアート(生命の美術)を認めさせた、芸術界の風雲児。「生きざま=死にざま」命の美しさを花で表現する、グローバルなフラワーアーティスト、そして、ランドアーティスト。
「美の術を常に考えている」。そう語る柿崎順一さんは、美術を、命の美しさで魂現する。柿崎さんから生み出される、花の持つ生と死、そして、その輪廻にある美しさは世界の人々を魅了して止まない。
「生死のコントラストの美しさ。枯れていく色合いの美しさ。ここに生命力を感じます。花って、蕾、咲き、萎れ、枯れ、散るでしょ。傷ついたり、破れたり。無傷で花開いた時だけが綺麗だと思っていないんです。変わり往く世界の美しさ、その過程に魅力を感じるんです」。
そんな柿崎さんの作品は生死が循環される一時を切り取ったかのようだ。そこから見える過去と未来。命の尊さ、儚さが伝わってくる。「この作品―溺れた肉体―は三年目です。生きている花や枯れた花、よく見てください、カビも生えています。あたらしい生命が息吹いているんです」。一枚一枚、花びらが貼られたその作品は、また新たに生命を宿し、そして、柿崎さんの手によってさらに命を重ねられ、花の美しさが輝きを増す。その色、その形態から生きている美しさ、死に往く美しさを醸し出している。
1971年、長野県千曲市生まれ。「両親共に生花店を営む家庭に育ったんです。父の温室ではシクラメンなどを管理していて、水が落ちた花でよく遊んでいましたね。当たり前に手にしていたという感じです」。長野という四季豊かな大地と、花を愛する家族が、柿崎さんの心の源となっている。
そして、1994年、長野県に帰郷。今や、世界のアートステージに新しい息吹を吹き込む存在だ。「人から云われるようになって、今やっと、美術家になれたのかなと思うんです」。そんな柿崎さんは、高校在学中から本格的にフラワーデザインを学び、その後、造形学校でデザイン、園芸学校で園芸学、花飾学を学んだ。1991年に就職後、数々のフラワーデザインや舞台美術を手がけ、1997年、ファイブシーズンズを設立。花や木、果実、土などの自然素材を用いたインスタレーション(作品を単体でなく、展示する環境と有機的に関連づけることによって構想し、それを一つの芸術的空間として呈示すること)、舞台美術・演出、写真、映像、フロリダンス(花を使ったコンテンポラリーダンス)など、さまざまな形態のフラワーアートで美を発信している。
創造し続けるその原動力は、「プライド。負の部分…反骨心かな…」と。「高校3年生の時、美大に行きたくてね。小さい頃から絵が好きで、進路を決める時になって、急に美大か芸大だって思ったんですよ。でも、芸術教科の選択で美術ではなく音楽を選んでいて…。男の子がよく憧れるロックに興味があってね(笑)。担任の先生にも美術の先生にも今からじゃ無理だと言われました。必死で徹夜してデッサンを一枚書いたけど…やっぱり駄目だと言われました。それでも諦め切れなかったんです。だから、ずっと、無理だと言った先生たちを見返したいと思っていました。その精神かな…」。諦めて別の世界を選ぶことが多いが、柿崎さんは、その夢の実現に向け、自分で道を切り拓いていった。だからこそ、柿崎さんから生まれる芸術は前例のない思索探求から生み出され、観る人の心に刻まれるのだろう。
「人の心の中に残像をつくりたい―今この瞬間の記憶、心に刻まれる記憶になれば嬉しいですね。昔、花屋を手伝っていた頃、若い男の子が好きな女の子に花をプレゼントしたいとやって来たんです。でも、振られるかもしれないって…(笑)。僕は言ったんです。本当に自分のことを愛してくれた人のことは、一生の間に何度も何度も思い出すもの…と。だから、僕は、観る人の感情を奮い立たせるような作品を創りたいんです。そして、心に刻まれたい。本当に感動したことは心に抱いて死ねると思うんです」。
今、数々の他業界企業やアーティストたちとコラボレートし、観る者の心に新たな何かを生まれさせるエネルギーを解き放つ。そんな活動、作品を創造する柿崎さんは、「生きてゆくのは辛いですね。楽しさより、生みの苦しさの方が大きいです。デモンストレーション…創っている作業は、本当は誰にも見せたくないんです。地を這うように、必死ですから…」。しかし、「すごくモチベーションが上がった時、人の前に出たくなる瞬間がありますね…本当にたまにですが…。暗闇の中、スポットライトを浴びて表現し、伝えたくなります」。
生と死を見つめ、老い往く姿かたちを受け止め、美を追い求める。そして、人である限り、人に伝える。創造者故の計り知れない苦労があるに違いない。
「これから出会う人や機会によって生み出されるものが何であるか楽しみです」。
「今まで、自分から始めたプロジェクトはないんですよ。誰かが、いつの間にか引き出してくれて、それが自分のものになっているんです」。
謙虚で、人、物との出会い、縁を大切にされる柿崎さんは、最後に「やっぱり、生きているのは面白いです」と。自身が描かれる未来の生きざま、内に秘めた覚悟のような静かで力強い言葉。美術家を夢見、今、美術、芸術の世界から、世の中に柿崎ワールドの旋風を巻き起こしている。柿崎さんの生命がある限り、生み出された過去の作品たちも呼吸をし、現在、未来に生き続ける。そしてそれは、観る者の心にも波動となって、新たな生と死を生む。
教壇にも立たれている柿崎さんは、「好きなことをやればいい。知識やプロセスは大事ですが、既存の概念は必ず疑ってかかること。無限のフィールドがあることを知ってほしい」。と生徒さんに教えられているそうです。己の道を己でつくるには、妥協せず、ひたむきに探求することが大切なのだ。
長野県の善光寺近く、日本の古きよき佇まい…木造の建物や倉に囲まれたカフェ。石畳に並べられたテーブルに座り、緑や、ほんの少し黄色に変わり往く紅葉が雨にしっとりと濡れる様子の下で、午後の長い時間をいただいた。柿崎さんはとても穏やかで、ひとつ一つ真剣に考えながら丁寧にお話してくださった。その静かな風貌と真摯な柿崎さんからは、あのダークで艶かしい作品が生み出されているとは到底、想像ができない。作品から発する津々としたエネルギーは観る者の足を思わず止めてしまう。これが世界で認められた柿崎ワールド。皆さんも一度、個展や写真集をご覧ください。
ほか、国内、海外で、舞踏、演劇等の舞台美術、コラボレーション多数